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資料問題⑭

資料問題⑭:日本の産業発展と構造変化(修正版)

1. 「生糸」と「綿糸」の逆転劇

明治時代の日本の輸出を支えたのは軽工業だった。次の【資料1】のグラフを見て、日本の「綿糸(めんし)」産業がたどった劇的な変化を読み解きなさい。

【資料1】綿糸の輸出量・輸入量の推移

輸入 輸出 1890年頃 輸出入が逆転! 1870 1900

【資料2】紡績工場の労働実態(女工哀史)

昼夜二交代制:
高価な輸入機械を24時間フル稼働させるため、女性労働者を昼組と夜組に分け、長時間労働させた。
→ 「安価で大量の製品」を作ることが可能になった。

難易度:★★☆☆☆

問1 【資料1】【資料2】から読み取れる、明治中期に日本の綿糸産業が輸入国から輸出国へと転換(産業革命)できた主な要因として、最も適切なものを選びなさい。

【正解:②】

解説: 日本の産業革命は、松方財政後の企業勃興期に進みました。大阪紡績会社などに代表されるように、輸入機械と「安価な労働力(女工)」を組み合わせることでコストを下げ、安くて質の良い綿糸を生産し、逆に中国や朝鮮へ輸出するまでになりました。


2. エネルギー革命が変えた日本

高度経済成長期、日本の産業を支えるエネルギー源は劇的に変化した。次の【資料3】【資料4】を見て、その変化が日本の地理と産業に与えた影響を分析しなさい。

【資料3】日本のエネルギー供給源の推移

石炭 1955年 主役交代 石油 1970年

【資料4】工業地域の変化

時期 主な立地場所 理由
戦前〜1950年代 炭田の近く
(北九州・北海道)
重くて運ぶのが大変な「石炭」が採れる場所が有利。
1960年代〜 太平洋側の臨海部
(太平洋ベルト)
タンカーで輸入した「石油」や原料を直接受け入れられる港が有利。
難易度:★★★☆☆

問2 「エネルギー革命(石炭から石油へ)」が日本の地域社会に与えた影響として、最も適切な記述を選びなさい。

【正解:②】

解説: 石油への転換により、工場は「原料産地(炭鉱)」から「輸入の玄関口(港)」へと移動しました。これにより太平洋ベルト地帯に重化学工業が集中し、一方でかつて栄えた炭鉱都市は仕事を失い、過疎化が進むという明暗が分かれました。


3. 「円高」は日本をどう変えたか(思考力)

1985年のプラザ合意以降、日本は急激な「円高」に見舞われた。円高は海外旅行には有利だが、輸出産業にとっては打撃となる。その経済メカニズムと、日本企業がとった生存戦略を【資料5】【資料6】から解き明かしなさい。

【資料5】「1ドル=200円」が「100円」になると?

【円安】 1ドル = 200円 日本で1000円の製品を アメリカで売ると… 5ドル (安い!) 円高へ 【円高】 1ドル = 100円 日本で1000円のまま アメリカで売ると… 10ドル (倍!!) 結果: 値段が高くなって売れなくなる。 日本で作って輸出すると損をする。 「じゃあ、海外で作ろう!」

【資料6】日本企業の海外現地生産比率

1985 円高開始 2000年以降 海外工場が増加 (産業の空洞化)
難易度:★★★★★

問3(考察) プラザ合意以降の急激な円高によって、日本の製造業がとった行動と、それが日本国内に及ぼした影響(産業の空洞化)について、最も論理的な説明を選びなさい。

【正解:②】

解説:
1. 円高のデメリット: 資料5にある通り、円高になると日本製品のドル建て価格が倍増し、海外で売れなくなります。
2. 企業の対策: そこで企業は、「日本で作って輸出」するのをやめ、「海外に工場を作ってそこで売る(現地生産)」に切り替えました。
3. 国内への影響: 工場が海外に出て行けば、国内の仕事(雇用)や技術が失われます。これを「産業の空洞化」と呼び、地域経済の衰退要因の一つとなりました。

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この記事を書いた人

旧ブログ『Mr.ガジェットの日記』をBloggerで立ち上げ、その後当ブログ『ミスターガジェット』を創設。
Twitterのフォロワーは2500人を突破。
紅白出場経験のあるミリオンシンガー小野正利氏に師事するなど音楽活動にも力をいれている。

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