資料問題⑪:日清・日露戦争と近代日本(データ分析版)
1. 巨額の賠償金とその行方
日清戦争に勝利した日本は、当時の国家予算をはるかに上回る賠償金を獲得した。次の【資料1】【資料2】のデータから、この資金が日本の近代化にどのような影響を与えたか分析しなさい。
【資料1】国家予算と賠償金の規模比較(1895年頃)
【資料2】賠償金の主な使い道(割合)
次の戦争(対ロシア)に備えて軍事力に使われた。
問1 【資料1】【資料2】から読み取れる、日清戦争後の日本の国家戦略として、最も適切な記述を選びなさい。
【正解:②】
解説: 資料1にある通り、賠償金は国家予算の4倍以上という莫大な金額でした。しかし資料2が示すように、その8割以上は「次の戦争(日露戦争)」を見据えた軍備増強に使われました。残りの一部で、鉄鋼の国産化を目指して八幡製鉄所が建設されました。
2. 国力の限界を超えた戦争(日露戦争)
日露戦争は、日清戦争とは比較にならないほど過酷な消耗戦となった。次の【資料3】【資料4】のデータを見て、日本が直面していた経済的な危機を分析しなさい。
【資料3】日清戦争と日露戦争の規模比較
| 項目 | 日清戦争 | 日露戦争 | 倍率 |
|---|---|---|---|
| 戦費(総額) | 約 2.3億円 | 約 17.0億円 | 約 8倍 |
| 動員兵力 | 約 24万人 | 約 109万人 | 約 4.5倍 |
| 死傷者数 | 約 1.3万人 | 約 11.8万人 | 約 9倍 |
【資料4】日露戦争の戦費調達(借金の割合)
問2 【資料3】【資料4】から読み取れる、日露戦争における日本の国家財政の状況と、講和(戦争終結)を急いだ理由として、最も適切な記述を選びなさい。
【正解:②】
解説: 日露戦争は、日本の国力の限界を超えた「総力戦」でした。戦費17億円のうち約半分はイギリスやアメリカからの借金(外債)であり、兵士や弾薬も尽きかけていました。軍事的勝利(奉天会戦、日本海海戦)を収めた段階で、経済が破綻する前に講和に持ち込むのがギリギリの選択でした。
3. 勝利の代償と日比谷焼打事件(思考力)
戦争には勝ったはずなのに、なぜ国民は激怒し、東京で暴動(日比谷焼打事件)を起こしたのか。次の【資料5】【資料6】を比較し、国民の期待と現実のギャップを考察しなさい。
【資料5】講和条約の内容比較
| 項目 | 日清戦争 (下関条約) | 日露戦争 (ポーツマス条約) |
|---|---|---|
| 領土 | 台湾・遼東半島など | 韓国の指導権 南樺太 (北緯50度以南) |
| 賠償金 | 3億6000万円 (巨額) |
なし (0円) |
【資料6】国民が背負った負担
- 増税: 地租や営業税などが大幅に引き上げられた。
- 犠牲: 死傷者は日清戦争の約9倍(11万人以上)。
- 期待: 「勝ったのだから、増税分を取り戻せるだけの賠償金がもらえるはずだ」と信じていた。
問3(考察) ポーツマス条約の内容を知った国民が激怒し、日比谷焼打事件を起こした背景にある「政府と国民の認識のズレ」について、最も論理的に説明しているものを選びなさい。
【正解:①】
解説(重要):
1. 政府の認識: 日本の国力は限界で、これ以上戦えば負ける可能性が高かったため、「賠償金なし」でも講和するしかなかった。
2. 国民の認識: 新聞などで「日本軍連戦連勝」と知らされていたため、「ロシアを完全に打ち負かした」と信じていた。
3. 結果: 家族を失い、重税に耐えたのに「賠償金ゼロ」という結果に、国民の不満が爆発した。
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