資料問題⑩:冷戦と分断された世界(データ分析版)
1. 終わりのない核軍拡競争
米ソ両国は相手を全滅させるのに十分な核兵器を持ちながら、さらに増やし続けた。次の【資料1】のデータから、冷戦期の緊張の変化を読み解きなさい。
【資料1】米ソの核弾頭保有数の推移(発)
| 年 | アメリカ | ソ連 | 備考(出来事) |
|---|---|---|---|
| 1950 | 369 | 5 | 朝鮮戦争勃発 |
| 1962 | 25,540 | 3,356 | キューバ危機 |
| 1970 | 26,008 | 11,643 | デタント(緊張緩和) |
| 1986 | 23,317 | 40,159 (ピーク) | ソ連の軍拡競争 |
| 1990 | 10,904 | 37,000 | 冷戦終結へ(INF条約後) |
【資料2】MAD(相互確証破壊)
「どちらが先に撃っても、相手の反撃で自分も確実に全滅する」
この恐怖があるため、皮肉にも核戦争は起こせなくなった。
→ 「恐怖の均衡」による平和
問1 【資料1】【資料2】から読み取れる、冷戦期における核兵器の増減とその背景にある事情として、最も適切な記述を選びなさい。
【正解:②】
解説: 資料1の表を見ると、アメリカは1960年代後半から頭打ちになっていますが、ソ連は1986年のピーク(約4万発)まで急激に増やし続けています。その後、1987年のINF条約などを経て減少に転じました。
2. 壁の向こうとこちらの暮らし
資本主義(西側)と社会主義(東側)はどちらが豊かなのか。分断国家であった「西ドイツ」と「東ドイツ」のデータを比較し、その格差を分析しなさい。
【資料3】東西ドイツの生活水準比較(1988年)
| 項目 | 西ドイツ (資本主義) | 東ドイツ (社会主義) |
|---|---|---|
| 一人当たりGDP | $ 19,500 | $ 9,300 |
| 平均月収 | 高い(購買力あり) | 低い(西側の1/3程度) |
| 自家用車 | 自由に買える | 注文から12年待ち |
| 住宅設備 | 電話・水洗トイレ完備 | 共同トイレ・石炭暖房 |
【資料4】東ドイツの国民車「トラバント」
- ボディはプラスチック製(紙パルプ補強)
- エンジンは非力で、排ガスがひどい
- 新車を手に入れるのに平均12〜15年待たされた。
(※西側では高性能なベンツやBMWが自由に買えた)
問2 【資料3】【資料4】から読み取れる、社会主義経済(計画経済)の限界と、それが「ベルリンの壁崩壊」につながった理由として、最も適切なものを選びなさい。
【正解:②】
解説: 「車を買うのに12年待ち」という事実は、需要と供給を政府がコントロールする計画経済の完全な失敗を示しています。西側の豊かな生活を知った東側の人々にとって、この経済格差は許容できるものではありませんでした。
3. 超大国ソ連はなぜ崩壊したのか(思考力)
軍事大国だったソ連が、なぜ戦わずして内部から崩壊したのか。その要因の一つである「原油価格」と「経済構造」の関係を、次の【資料5】【資料6】から分析しなさい。
【資料5】原油価格とソ連経済の連動
| 年代 | 原油価格 | ソ連の経済状況 |
|---|---|---|
| 1970年代 | 高騰(オイルショック) | 好調 (石油を売って外貨を獲得) |
| 1980年代前半 | 高値安定 | 停滞(軍事費の増大) |
| 1986年 | 大暴落(逆オイルショック) | 危機的状況 (国家収入が激減) |
| 1990年 | 低迷 | 崩壊寸前 (食料輸入も困難に) |
【資料6】ソ連の輸出品目の構成(1985年)
外貨獲得の頼みの綱は「石油」だけだった。
問3(考察) 1980年代後半、ゴルバチョフ政権下でソ連経済が急速に悪化し、国家崩壊に至った「経済的な主因」として、【資料5】【資料6】から導き出される最も適切なメカニズムを選びなさい。
【正解:②】
解説(超重要): 「ソ連は核武装したサウジアラビア」と揶揄されるほど、資源輸出に依存した脆弱な経済構造でした(資料6)。1970年代は原油高で持ちこたえていましたが(資料5)、1986年の原油価格暴落が致命傷となり、経済が行き詰まりました。これが政治的混乱を招き、連邦崩壊の決定打となりました。
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