MENU

資料問題⑨

資料問題⑨:ベトナム戦争と超大国の誤算(データ分析版)

1. 「物量」はなぜ通じなかったのか

アメリカ軍は第二次世界大戦をはるかに上回る爆弾を投下し、敵を圧倒したはずだった。次の【資料1】【資料2】のデータから、なぜその物量が勝利に結びつかなかったのかを分析しなさい。

【資料1】米軍による投下爆弾総量の比較

200万t 400万t 800万t 215万t 第二次大戦 (全戦域合計) 約800万t ベトナム戦争 (局地戦のみ)

第二次大戦の全投下量の 約4倍 を小さな国に投下した。

【資料2】両軍の戦死者数(推計)

米軍 5.8万人 北ベトナム軍 (ベトコン含む) 110万人以上 民間人 200万人以上 軍事的には「敵を多く倒した」のは米軍だが…
難易度:★★☆☆☆

問1 【資料1】【資料2】のデータから読み取れる、アメリカ軍が直面した「戦争のパラドックス(矛盾)」として最も適切な記述を選びなさい。

【正解:②】

解説: 統計上、アメリカ軍は圧倒的な火力を投射し、軍事的には敵に壊滅的な損害を与え続けました(資料1・2)。しかし、どれだけ爆撃しても、どれだけ敵兵を倒しても、ジャングルを利用したゲリラ戦と民族独立への意志をくじくことはできず、政治的な勝利を得られませんでした。


2. メディアが変えた戦争

ベトナム戦争は「リビングルームの戦争」と呼ばれた。次の【資料3】【資料4】のグラフを照らし合わせ、メディアの普及と世論の変化の関係を分析しなさい。

【資料3】アメリカの家庭用テレビ普及率

9% 1950 87% 1960 95% 1970 ほぼ全家庭に

開戦時には、すでにほとんどの家庭にテレビがあった。

【資料4】ベトナム戦争への支持率推移

50% テト攻勢 (1968年) 支持 反対多数 1965 1968 1971
難易度:★★★☆☆

問2 【資料3】の環境下で【資料4】のような支持率の変化が起きた理由として、メディアの役割に関する記述として最も適切なものを選びなさい。

【正解:①】

解説: ほぼ全家庭に普及していたテレビ(資料3)を通じて、ナパーム弾で逃げ惑う子供や、米兵の死傷シーンが夕食時に放送されました。特に1968年のテト攻勢で「もうすぐ勝てる」という政府の説明が嘘だとバレたことで、世論は一気に反戦へと傾きました。


3. 「ドミノ理論」のその後(データ検証)

アメリカは「ベトナムが共産化すれば、東南アジア全体がドミノ倒しのように共産化する」と信じて介入した。果たしてその予測は正しかったのか。戦後のデータから検証しなさい。

【資料5】米国の対ベトナム軍事援助額の推移

少額 1955 本格介入 1965 巨額 1973 止まらない介入拡大

【資料6】1980年時点の東南アジア諸国の体制

国名 政治体制 経済状況
ベトナム 社会主義(共産化) 戦災で疲弊
ラオス 社会主義(共産化) 停滞
カンボジア 社会主義(共産化) 混乱・虐殺
タイ 資本主義 高度成長へ
マレーシア 資本主義 高度成長へ
シンガポール 資本主義 急成長

※ASEAN諸国は共産化せず、経済発展に成功。

難易度:★★★★★

問3(考察) アメリカの「ドミノ理論(ベトナムが倒れれば全アジアが共産化する)」は正しかったのか。【資料6】の結果に基づき、最も妥当な評価を選びなさい。

【正解:②】

解説: 資料6を見ると、ベトナム・ラオス・カンボジアは共産化しましたが、隣接するタイやマレーシアなどは資本主義を維持し、経済発展(ASEANの奇跡)を遂げました。「一つの国が倒れれば全て倒れる」という単純なドミノ理論は、アジア各国のナショナリズムや経済成長の力を過小評価していたと言えます。

資料問題⑨:ベトナム戦争と超大国の誤算(データ分析版)

1. 「物量」はなぜ通じなかったのか

アメリカ軍は第二次世界大戦をはるかに上回る爆弾を投下し、敵を圧倒したはずだった。次の【資料1】【資料2】のデータから、なぜその物量が勝利に結びつかなかったのかを分析しなさい。

【資料1】米軍による投下爆弾総量の比較

200万t 400万t 800万t 215万t 第二次大戦 (全戦域合計) 約800万t ベトナム戦争 (局地戦のみ)

第二次大戦の全投下量の 約4倍 を小さな国に投下した。

【資料2】両軍の戦死者数(推計)

米軍 5.8万人 北ベトナム軍 (ベトコン含む) 110万人以上 民間人 200万人以上 軍事的には「敵を多く倒した」のは米軍だが…
難易度:★★☆☆☆

問1 【資料1】【資料2】のデータから読み取れる、アメリカ軍が直面した「戦争のパラドックス(矛盾)」として最も適切な記述を選びなさい。

【正解:②】

解説: 統計上、アメリカ軍は圧倒的な火力を投射し、軍事的には敵に壊滅的な損害を与え続けました(資料1・2)。しかし、どれだけ爆撃しても、どれだけ敵兵を倒しても、ジャングルを利用したゲリラ戦と民族独立への意志をくじくことはできず、政治的な勝利を得られませんでした。


2. メディアが変えた戦争

ベトナム戦争は「リビングルームの戦争」と呼ばれた。次の【資料3】【資料4】のグラフを照らし合わせ、メディアの普及と世論の変化の関係を分析しなさい。

【資料3】アメリカの家庭用テレビ普及率

9% 1950 87% 1960 95% 1970 ほぼ全家庭に

開戦時には、すでにほとんどの家庭にテレビがあった。

【資料4】ベトナム戦争への支持率推移

50% テト攻勢 (1968年) 支持 反対多数 1965 1968 1971
難易度:★★★☆☆

問2 【資料3】の環境下で【資料4】のような支持率の変化が起きた理由として、メディアの役割に関する記述として最も適切なものを選びなさい。

【正解:①】

解説: ほぼ全家庭に普及していたテレビ(資料3)を通じて、ナパーム弾で逃げ惑う子供や、米兵の死傷シーンが夕食時に放送されました。特に1968年のテト攻勢で「もうすぐ勝てる」という政府の説明が嘘だとバレたことで、世論は一気に反戦へと傾きました。


3. 「ドミノ理論」のその後(データ検証)

アメリカは「ベトナムが共産化すれば、東南アジア全体がドミノ倒しのように共産化する」と信じて介入した。果たしてその予測は正しかったのか。戦後のデータから検証しなさい。

【資料5】米国の対ベトナム軍事援助額の推移

少額 1955 本格介入 1965 巨額 1973 止まらない介入拡大

【資料6】1980年時点の東南アジア諸国の体制

国名 政治体制 経済状況
ベトナム 社会主義(共産化) 戦災で疲弊
ラオス 社会主義(共産化) 停滞
カンボジア 社会主義(共産化) 混乱・虐殺
タイ 資本主義 高度成長へ
マレーシア 資本主義 高度成長へ
シンガポール 資本主義 急成長

※ASEAN諸国は共産化せず、経済発展に成功。

難易度:★★★★★

問3(考察) アメリカの「ドミノ理論(ベトナムが倒れれば全アジアが共産化する)」は正しかったのか。【資料6】の結果に基づき、最も妥当な評価を選びなさい。

【正解:②】

解説: 資料6を見ると、ベトナム・ラオス・カンボジアは共産化しましたが、隣接するタイやマレーシアなどは資本主義を維持し、経済発展(ASEANの奇跡)を遂げました。「一つの国が倒れれば全て倒れる」という単純なドミノ理論は、アジア各国のナショナリズムや経済成長の力を過小評価していたと言えます。