資料問題⑧:データで読み解く第二次世界大戦
1. 「物量」の正体(日米比較)
太平洋戦争が「物量の差」で決したと言われるが、具体的にどれほどの差があったのか。次の【資料1】【資料2】の統計データを見て、日本の敗因を分析しなさい。
【資料1】日米の主要戦略物資 生産量比較(1943年)
| 品目 | 日本 | アメリカ | 倍率(米/日) |
|---|---|---|---|
| 粗鋼(万トン) | 765 | 8,059 | 約 10.5倍 |
| 石炭(万トン) | 5,550 | 53,500 | 約 9.6倍 |
| 原油(万バレル) | 277 | 150,500 | 約 543倍 |
| 航空機(機) | 16,693 | 85,898 | 約 5.1倍 |
(出典:『太平洋戦争戦史』ほか)
【資料2】日本の商船保有量と喪失量
1944年には、新たに作る船より沈められる船の方が多くなった。
問1 【資料1】【資料2】のデータから読み取れる、日本の敗戦の決定的な要因として、最も適切な記述を選びなさい。
【正解:②】
解説: 資料1で石油生産量に500倍以上の差があることから、日本がいかに資源のない国かがわかります。さらに資料2で、1943年以降に喪失量(赤)が急増し、保有量(青)が激減しています。資源を輸入に頼る日本にとって、船が沈められることは「国家の窒息」を意味しました。
2. 統計で見る「総力戦」の惨禍
第一次世界大戦と異なり、第二次世界大戦では民間人の犠牲が極端に多かった。次の【資料3】のグラフから、その特徴を読み解きなさい。
【資料3】主な参戦国の死者数(推計)
【資料4】総力戦の特徴
- 戦場だけでなく、都市への無差別爆撃が行われた。
- 占領地での虐殺や飢餓により、多くの民間人が犠牲になった。
- 特に東部戦線(独ソ戦)や日中戦争で民間被害が甚大であった。
問2 【資料3】のグラフの特徴から読み取れる、第二次世界大戦の犠牲者に関する記述として正しいものを選びなさい。
【正解:②】
解説: グラフの「赤い部分(民間人)」に注目してください。ソ連や中国では、軍人以上に民間人が多く亡くなっています。これは、空襲や戦闘の巻き添えだけでなく、占領地での過酷な扱いによる犠牲が大きかったことを表しています。
3. 終戦へのタイムライン(思考力)
日本がポツダム宣言を受諾し降伏するまでの短い期間に、決定的な出来事が立て続けに起きた。次の【資料5】の年表(タイムライン)を見て、日本の降伏判断に影響を与えた要因を考察しなさい。
【資料5】1945年8月の出来事(日本時間)
| 日時 | 出来事 | 日本の状況・反応 |
|---|---|---|
| 8月6日 午前8:15 |
広島へ原爆投下 | 被害状況の調査を開始。 まだ戦争継続の構え。 |
| 8月8日 深夜 |
ソ連が対日宣戦布告 | 中立条約の破棄。 「頼みの綱」が敵に回る。 |
| 8月9日 未明 |
ソ連軍、満州へ侵攻開始 | 関東軍(日本陸軍)が崩壊開始。 |
| 8月9日 午前11:02 |
長崎へ原爆投下 | 最高戦争指導会議の開催中。 ポツダム宣言受諾を議論。 |
| 8月14日 | 御前会議で受諾決定 | 連合国へ通告。 |
【資料6】当時の日本の外交戦略
日本政府の一部は、まだ参戦していなかった「ソ連」に仲介を頼んで、有利な条件で和平交渉を行おうと画策していた。
しかし、8月8日のソ連参戦によってその希望は完全に絶たれた。
問3(考察) 日本が8月14日にポツダム宣言受諾(降伏)を最終決定した理由として、【資料5】【資料6】の時系列から読み取れる最も論理的な説明を選びなさい。
【正解:②】
解説: 広島への原爆投下(6日)の時点では、日本政府はまだソ連仲介による和平に望みをかけていました。しかし、頼みの綱であったソ連が宣戦布告(8日深夜)し、翌朝に長崎へ原爆が投下されたことで、「新型爆弾の脅威」と「ソ連の侵攻」という二重の絶望的状況に陥り、降伏を決断せざるを得なくなりました。
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