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資料問題④

資料問題④:明治維新と近代化(決定版)

1. 明治初期の貿易と産業構造

次の【資料1】は1877年(明治10年)頃の日本の輸出入品目の割合、【資料2】は当時の産業に関する記述である。これらを読み解き、問いに答えなさい。

【資料1】輸出入品目の構成(1877年頃)

【輸出】 生糸 農産物が中心 【輸入】 綿製品・機械 工業製品

【資料2】当時の産業状況

明治政府は「富国強兵」を掲げ、群馬県の富岡製糸場のような官営工場を建設し、西洋の機械技術を導入した。しかし、民間企業の多くはまだ伝統的な手工業の段階にあり、安価な外国製綿製品の流入によって打撃を受けていた。

難易度:★★☆☆☆

問1 【資料1】【資料2】から読み取れる、明治初期の日本の国際的な立場として、最も適切な記述を選びなさい。

【正解:②】

解説: 資料1の輸出グラフを見ると「生糸(絹の原料)」「茶」などの農産加工品が大部分を占めています。一方、輸入は「綿製品・機械」などの工業製品です。これは近代化を急ぐ発展途上国の典型的な貿易構造です。


2. 近代化と「時間」の意識変化

明治時代、鉄道の開通とともに人々の生活様式は大きく変化した。次の【資料3】【資料4】を読み、問いに答えなさい。

【資料3】鉄道開業時の運行表(イメージ)

発車時刻行き先
午前 8:00横浜 行
午前 10:00横浜 行
午後 1:00横浜 行

ポイント:
● 正確な「分単位」での運行
● 乗り遅れると次は数時間後

【資料4】江戸と明治の時間感覚

江戸時代(不定時法)
日の出から日没までを6等分する。
→ 季節によって時間の長さが変わる。
明治時代(定時法)
1日を24時間、1時間を60分とする。
→ 季節に関係なく長さは一定。
学校・工場・鉄道の基準となる。
難易度:★★★☆☆

問2 【資料3】【資料4】を踏まえ、明治政府が「定時法」を導入し、厳格な時間管理を求めた社会的な理由として、最も論理的な説明を選びなさい。

【正解:②】

解説: 鉄道は1分遅れれば事故につながり、工場は一斉に作業を開始しなければ効率が上がりません。個人の感覚や季節で長さが変わる「不定時法」では、こうした集団行動・システム運用が不可能になるため、近代国家として「定時法」への移行が不可欠でした。


3. 地租改正と農民のリスク(思考力)

明治政府が行った最大の税制改革「地租改正」。これがなぜ農民にとって大きなリスクとなり、のちの「松方デフレ」などで没落する農民を生んだのか。以下のシミュレーション資料を読み、そのメカニズムを解き明かしなさい。

【資料5】税の納め方の違い

江戸時代(年貢)

  • 基準:収穫高(とれた量)
  • 方法:現物納入(米で払う)
→ 不作の年は、税も減る(五公五民)。

明治維新(地租)

  • 基準:地価(土地の値段)
  • 方法:現金納入(金で払う)
→ 豊作・不作に関わらず「定額」

【資料6】米価変動による負担の変化

条件:地租(税金)は毎年「100円」

米が高い時 (米1俵 = 10円) 10俵 でOK 負担:軽い 価格暴落 米が安い時 (米1俵 = 5円) 20俵 必要! 負担:激増
難易度:★★★★★

問3(考察) 【資料5】と【資料6】の仕組みを理解した上で、以下の事象が起きた理由として最も論理的で適切な記述を選びなさい。

事象: 1880年代、松方正義大蔵卿によるデフレ政策(物価下落)が進むと、多くの農民が税金を払えなくなり、土地を手放して没落した。一方で政府の税収は安定していた。

【正解:②】

解説(重要):
1. 政府のメリット: 税金が「定額の現金」になったため、米価が下がっても豊作不作に関わらず、予算通りの収入が入ってくる(安定財源)。
2. 農民のリスク: 資料6にある通り、デフレ(米価下落)になると、同じ「100円」を作るために売らなければならない米の量が倍増します。
3. 結論: 松方デフレ期には米価が暴落したため、定額の現金を工面できなくなった農民が土地を売らざるを得なくなり、小作人へと転落しました。

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この記事を書いた人

旧ブログ『Mr.ガジェットの日記』をBloggerで立ち上げ、その後当ブログ『ミスターガジェット』を創設。
Twitterのフォロワーは2500人を突破。
紅白出場経験のあるミリオンシンガー小野正利氏に師事するなど音楽活動にも力をいれている。

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