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相対性理論・現代宇宙論

相対性理論・現代宇宙論 統合学習システム

1. 相対論前史とアインシュタイン

1. 相対性理論への夜明け
相対と絶対:概念の整理 入門5

「相対」とは他との関係で成立すること(例:相対評価、相対音感)、「絶対」とは比較を必要としないこと(例:絶対評価、絶対音感)を指す。物理学においても、運動は絶対的なものか相対的なものかが長年の議論であった。

ガリレオ・ガリレイの相対性原理

17世紀、ガリレオは「動いている船のマストから石を落とす実験」を思考し、慣性の法則を見出した。船の中の観測者にとっては石は真下に落ち、岸の観測者からは放物線を描いて見えるが、どちらも物理法則(落下)としては同じである。

ガリレイの相対性原理
「等速直線運動をしている慣性系(船の中など)においては、静止している時と同じ物理法則が成り立つ。実験によって自分が動いているか止まっているかを区別することはできない。」
光の正体とエーテルの謎 入門6

粒子説 vs 波動説

提唱者根拠
ニュートン粒子説光は直進し、影ができるから。
ホイヘンス波動説光同士がぶつかってもすり抜ける(干渉する)から。

1850年、フーコーが回転鏡を用いて水中の光速度を測定し、空気中より遅いことを証明したことで、波動説が勝利した。

エーテルの探索

波には媒質が必要である(海なら水、音なら空気)。光が波なら、宇宙空間を満たす媒質があるはずだと考えられ、それを「」と名付けた。

マイケルソン・モーレーの実験 (1887年):地球の公転運動を利用して「エーテルの風」を検出しようとした精密実験。しかし、どの方向でも光速は変わらなかった。これは物理学最大の謎となった。

アインシュタインの生涯 入門3, 4

不遇の天才の誕生

  • 1879年3月14日:ドイツ・ウルム生まれ。幼少期は言葉が遅く「(のろま)」と呼ばれた。5歳でに感動し、科学に目覚める。
  • 学生時代:チューリッヒ工科大学に進むも、成績は平凡。友人ハビヒト、ソロヴィーヌと「アカデミー・オリンピア」を結成し哲学を議論した。
  • 1902年:就職難の末、ベルンのに就職。暇を見つけては引き出しに隠した計算用紙で研究を行った。

1905年:奇跡の年 (Annus Mirabilis)

26歳の時、物理学の常識を覆す3つの論文を立て続けに発表した。

  1. (光電効果):光を粒子(光子)として扱い、ノーベル賞の受賞理由となった。
  2. :原子・分子の実在を理論的に証明した。
  3. :時間と空間の概念を統一した。

栄光と苦悩

  • 1919年:一般相対性理論の予言(光の湾曲)が皆既日食観測(エディントン隊)で実証され、世界的スターになる。
  • 1921年:ノーベル物理学賞受賞。授賞理由は相対論ではなく「光電効果の発見」。(相対論は当時まだ議論が多かったため)
  • 1922年:日本訪問。日本郵船「」の船上で受賞の報を受ける。改造社(雑誌『改造』)の招聘。熱狂的歓迎を受ける。
  • 1933年:ナチスの迫害を逃れ、米国プリンストン高等研究所へ。
  • 1939年:シラードの要請でルーズベルト大統領に原爆開発を促す手紙に署名(マンハッタン計画)。後に「生涯最大の過ち」と悔やむ。
  • 1955年:バートランド・ラッセルと共に核廃絶を訴える「」を発表。同年死去。
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この記事を書いた人

旧ブログ『Mr.ガジェットの日記』をBloggerで立ち上げ、その後当ブログ『ミスターガジェット』を創設。
Twitterのフォロワーは2500人を突破。
紅白出場経験のあるミリオンシンガー小野正利氏に師事するなど音楽活動にも力をいれている。

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